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芸大への受験生の頃
いつからかあんまり3月という時期は好きじゃない。
新しく何かが始まる期待感よりも、
何か物悲しい感じを受け少々感傷的な気持ちになるのだ。
原因として多分芸大受験生の時期が人より少々長かった事からきているのは自覚しているつもり。
家族がだんだんと受験ということを意識しだしたのでふと色々と思い出すことも…
高1の時に最初の美術の時間、確か自分の手を描く授業内容でできた絵をやたら先生に褒められた。
それまでは絵を描いたり物を作ったりは好きで多少は自信があったけど、自身ではそんないいレベルだと思ってなかった、あんまり人前であんなにホメられることはなかったのでチョットのぼせたのかな…?
のぼせた勢いでうっかり美術部に入ったのが作家業に進むきっかけになった。(ちょっと気になる子がいたのも数%あるかも…)
当時のS藤先生に感謝。
将来美術の道へ行きたいなと思ったのは、高2ぐらいだったかなぁ。
ぼんやりとした将来さえ見いだせい無いのに、のぼせたまんまだったボクに衝撃を与えたのは、ほんのり薄暗い学校の図書室で見つけたあまり開かれた様子のないピカソの画集。
といってもピカソの全盛期?の絵じゃなくて、彼が15・6歳の頃に描いた足の石膏像のデッサン
もうビックリ、その時の驚きは未だに忘れられない。
似たような歳でこんなに描けてたのかって、普通ならそれ見て諦めるのだろうけど。
もっと描いて彼のように上手くなりたいなと、身の程知らずなことを思ったのが始まり
(後にピカソ5歳の時の絵を見て、天才はホントにいるな…と痛感しましたが)。
当時美術の道に行くべく先に画塾(予備校)に通ってた同級生のN君。
彼に聞くと世の中には美大芸大というものがあって、多くの画家や彫刻家・デザイナー出ているらしいとのこと。
無知な自分にはそういう生き方・将来・進学があるとは思っていなかった。
もう単純にそんな生き方をしてみたい思い、早速親を説き伏せN君と同じ画塾(予備校)に通い腕を磨くことにした。
通い始めて最初は漠然と美大へ行ってみたいだけだったのが、デザイナーとかよりも絵、絵よりも立体的なものを作ることに興味を覚えとりあえずは彫刻をやってみたくなった。
当時教えてもらっていた先生が彫刻科出身の人だったのでどんな作品を製作してるのか
聞いてみたのだが、どうやら当人は先生業が本業で製作はほぼしていない。
なら同級生とかはどうかと聞いても同級生も同じようなもので作品はほぼ作っていない模様。
そんな話を聞きなんだか残念に思いながらも、かといって彫刻以外の何か他の道も見つけだせず、しばし悶々としていたところ気づくといつの間にか受験生になっていた
もう一つ彫刻科に進学に煮え切らないところ、進学のパトロンでもある親は煮え切らないなら仕事として就職の選択肢の多いデザイン科への進学を要望してきた。まあなんとなくそれもそうかと思いデザイナーを目指すという選択に。
といったもの知れば知るほどやりたいようなジャンルがなく、これかな?と思った業種のことを自身を洗脳するかのように知ってみても、机上ではなく己の手で実制作したい思いが沸々と湧いてくる始末。
そんな中予備校に教えに来ていた大学生講師の中に陶芸を専攻してる人がいた
まだまだ無知だったのでまさか美術系大学に陶芸科があるとは思ってもなく、何か引っかかるところがあったのと、陶芸なんかは弟子入りして学ぶものと思っていたので、その人に大学で何をどうするのか聞いてみた。
まあ日がな一日粘土を練ったりろくろを引いて器を作ったりしている、その人は器を作り絵付けをしているが、同級生の中にはオブジェなど造形的な作品を作っていて、卒業後は作家としてやっていく人もいたり、何とか食えることも教えてくれた。
どうも陶芸科に進むという方向だと、デザインぽい仕事も絵を描くということも、彫刻的なこともでき尚且つ自身の作品で飯が食えそうだということが分かり、気持ちははどんどんそっちのほうに傾いていくのだが時はいつしか受験シーズンに入っていった。
そんな浮ついた気持ちではイマイチ興味のないデザイン科には受かるはずもなく、親には悪いのだが結局(ある種計画的な)不合格に。(勿論できうる限りには頑張りましたよ)
受験シーズンが終える頃には陶芸科がある大学への受験に切り替えた。
高校の卒業式には一般的な大学を受けて大学生になる同級生や就職したりと進路がはっきりと決まったものがほとんど、僕はといえば人生のやっと行きたい方向が定まったものの、また一年頑張らないとどうにもならない嬉しくない何か非常に複雑な気分。
まあ人生初めての浪人生活、春先は時間に追われる感じがしないから暇なようなそうでないような
また何か世の中から取り残されるせいか物悲しく、進路が決まってる友人達と過ごし方が違うのでどうしても疎遠に。
何とも言えない気分で公園に咲く桜を眺めていた。
結局計3回ほどそんな春を過ごしたので学生になっても、社会に出て一応作家と呼ばれるようになった今でも、その物悲しさが抜けず妙に春先は感傷的になるのです。
只そんな感じな感傷も、作品制作のエネルギーには多少はなっているとは思うが。